世界の中心でマイを叫んだけども

06,02,12公開ー
日記とか、感想とか、考察とか。
ぼそぼそとつぶやくようにもなりました。http://twitter.com/Kuro_ino
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管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM5:55〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。




実家がそこにあった証拠を見つけたぼくは、不思議な気持ちになった。
悲しいという気持ちと、安堵の気持ち。
玄関から実家があった場所を見渡し、1箇所1箇所を確かめていく。

(ここが玄関、じゃあここが台所、ここが茶の間で、ここが妹の部屋、
 ここが元の兄の部屋で・・・ここが1階のトイレ、お風呂・・・こっちが仏間か。
 で、縁側がココで・・・書斎がここ。階段がここで・・・だから、
 あの辺がぼくの部屋だったのか。で、その隣に両親の部屋。2階のトイレはあの辺か。
 ・・・・で、ここら辺が倉庫部屋で、この辺に農機小屋、ここら辺に藁小屋か)

そうして確認していくことで、自分の中で気持ちの整理をしたかったのかもしれない。
一通り確認し終えた後で、再び玄関のあった位置に戻ってきた。
そして、ふと、

(この状況を記録しておこう)

と、そう思った。
デジカメを取り出す。
使い慣れない録画モードに切り替え、スイッチを押した。


明るく、飄々と喋ろうと思った。
割と平常通りの気分で喋る。
現在時刻、現在の状況、実家の状況、それらを語っていた途中で、
ふいに感情がこみ上げてきた。

自分でも全く予期しなかったタイミングで涙がこぼれ、嗚咽が漏れる。
みっともない出来になってしまったなと後悔しつつ、
ごまかしながら喋ることを探す。
そうこうしているうちに録画の限界が近くなり、一度終了した。

(なんだかな。不格好な出来になってしまったな)

そんなことを思い、さて、これからどうしようかと考え、
どうすればいいのかなと考えつつ、しばらく実家のあった場所を歩き回っていた。
ご報告です。
こちらのブログは今日と明日と明後日お休みします。
再開は木曜日以降になるかと思います。

忙しいのもありますが、ちょっと今後の更新について考えるところがありまして。

うーん。
とかそんな感じで月曜の昼下がりを過ごすー。
んではらんではらまた明日ー。
がんばっていきましょかー。
がんばって生きていきましょかー。
おうおー。おうおー。
管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM5:25〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。



(・・・・・・)

明るくなった地元の姿を見て、私が何を考えていたのかを説明するのは、ちょっと難しい。

(すごいな むちゃくちゃだな なんだこれ 世界終わったみたいだ これ 
 世界中で報道されてるんじゃ 世界中から注目されてるのか 世界の中心か
 世界の中心にいるのか、今の自分 なんでこんなことになってるんだ
 静かだ 鳥の声だ すずめ? すごく普通に鳴くなぁ 当たり前か 
 キレイだな 世界が崩壊したような光景 色んな作品で見た ビューティフルドリーマーとか
 でも自分の目で見られるとは思わなかったな キレイだな)

実際にはもっと色んなメチャクチャな感情やら思考が入り交じっていたのだけれど、
めいっぱい精査して描写するなら、こんな感じだったろうか。

(自宅を見に行きたい)

ふとそう思った。
明るくなったこの状況で、もう一度自宅の姿を確認しておきたいと思った。
自宅からの距離はおよそ200メートル。
その位置からでも、すでに自宅が跡形もなく無くなっていることは分かっている。
そもそも、真っ暗だったときから、徐々に明るくなる過程の中で、
もう何度も自宅の方向を見やり、そこに何も残されていないことは確認していた。
それが分かっていても行きたかった。
歩く。
真っ暗な中ですら数時間も歩き続けた瓦礫の道には、すっかり慣れていた。
しっかりと足下を確認しながら、歩を進める。
到着した。


当たり前だけれど、到着したからといって、何が変わるというワケでもなかった。

(・・・・・)

不思議な感覚だった。山の位置、周辺の地理、中学校からの道筋、それら全ては自分がよく知っているハズのもので、
だから目の前のこれが、自分の実家があった場所だということも理解していて、なのに実家が無くなっている。
あまりにも実家があったという痕跡が無さすぎて、本当にココだろうかという思いと、
間違いなくココだったという思いが同時に発生していた。

(・・・・・)

改めて周囲を見渡した。
何も無い。私が知っているモノが映らない。
昨日まではあったハズの、自分が慣れ親しんだ地元の姿はどこにもない。
目に映るのは、冗談みたいなフィクションみたいな終わりの風景だけだった。

「ばかやろーーーーーーー!!」

遠くからそんな声が響いた。
壮年と思われる男性の声だった。
誰かが様子を見に来て、この光景を見て叫んだのだろうか、と思考が判断する。

(マンガみたいなことする人って、本当にいるんだなぁ)

そんなことを考えた。
自宅のあった場所の辺りをなんとなくぶらぶらしていると、ふと、足下に見慣れたレンガが映った。
実家の玄関を構成していたレンガだ。

(・・・ってことは)

足で地面をこすると、やはり見慣れた石材が露出した。

(ああ・・・玄関だなぁ・・・ってことはやっぱり・・・ここが実家なんだなぁ)

分かってはいたのだけれど、それでもその事実をしっかりと理解し納得できたのは、
そのタイミングだったと思う。

管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM4:15前後〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。

遺体に処置を施したあと、私は再び生存者の捜索をしていた。
周囲への呼びかけ、反応の確認、場所移動の繰り返し。
すっかりパターン化した行動を繰り返しながら、私はあることを考えていた。

(・・・数時間前に発見した生存者は、声を出すことで、僕にアピールできたから助けられたけど、
 ひょっとして、僕の声に気づきながら、しかし自分の存在に気づいてもらうことは出来ず、
 そのまま置き去りにされて命を落としてしまった人も、どこかにいたんじゃないだろうか。
 もしもそんな人がいたのだとしたら、ものすごく残酷なことをしてしまったな。
 津波に呑まれ、生き埋めになり、痛みや寒さという苦しみに襲われ、
 絶望に心を満たされたまま何時間も経過したころ、ようやく人の声が届き、
 「これで助かる」と、希望が生まれたというのに、その救助者は、
 自分に気づくことなく去ってしまった。
 それって、誰も助けが来ないまま死んでいくよりも、はるかに辛いんじゃないだろうか)

そのようなケースが発生していた可能性はゼロではない。
もちろんそれは、ただの私の独りよがりな妄想に過ぎなかったのかもしれない。
けれど、そんなことを考えずにはいられなかった。
ちょうど、それぐらいのタイミングのことだった。
東の空が、黒以外の色を帯び始めていることに気がついた。

地震に襲われてから地元に向かい、途中で1人の男性に出会い、集団と出会い、
その内の1人を避難所まで案内し、母親と会話し、
生存者の捜索に向かい、あらゆるものに対して怯え、1つの命を救って、1つの死を見届けて、
様々なことを想い、様々な出来事を経験した夜が、ようやく明けようとしていた。

(そっか・・・もうすぐ夜明けか・・・明るくなれば生存者の捜索も効率も
 格段に向上するんだろうな・・・。
 でも・・・世界が終わったみたいな光景がハッキリ見えることになるんだろうなぁ・・・怖いなぁ・・・・)

そんなことを考える。
それでも、夜が明けることをとても嬉しく思う自分もいたという事実は、
今でもハッキリと覚えている。

生存者を捜す。
周囲から闇が消え始めた。
生存者を捜す。
東の空にグレーと青と赤の色が入り交じり、その比率を目まぐるしく変化させていく。
生存者を探す。
輪郭でしか分からなかった周辺の状況、その情報量が徐々に増えていく。
生存者を探す。
徐々に顕わになっていく地元の姿に、様々な感情がこみ上げてくる。
生存者を探す。
悲しさだとか怒りだとか喜びだとか、ぐちゃぐちゃな感情が混ざり合っていた。

そして、午前5時24分、私はカメラを取り出し、

シャッターを押した。
管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM4:00前後〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。


(まず瓦礫をどけよっか)

そう考えた僕は、男性の上に積み重なっていた瓦礫の撤去を開始した。
大きな瓦礫は無く、いずれも手作業で簡単の除去できるレベルだったのは助かった。

(もし生きてたら自分で簡単に脱出できただろうから、この人は流されている間に亡くなったのか)

そんなことを考えながら、ものの1分ほどで瓦礫を撤去し終えた。
遺体を観察する。
50〜70ほどの男性。
顔の部分がドロで覆われていたので、付近を流れていた水で洗い、
細かな顔立ちが分かるようにする。
そこまで終えたところで、僕はカメラを取り出した。

(・・・うーん。遺体を撮影するのはどうしても気が引けるなぁ。
 後々のことを考えるとむしろ役立つハズではあるのだけれど・・・)

躊躇いを抱きつつも、フラッシュを焚き、全身像と顔のアップを撮影する。

(もしも遺体をこのまま長期間放置せざるを得ないことになったなら、
 自衛隊や遺族に照会してもらう際の良い証拠になる・・・ハズだけど)

撮影を終えたあとは、遺体を保全する方法を思案する。

(んー・・・このままじゃ最悪、カラスとかに突かれる可能性がある。
 だからシートとかを被せておきたい・・・だけど、そうやって隠しちゃうと、
 自衛隊なんかが捜索に来たとき、遺体を発見しづらい状況にしてしまう可能性がある。
 だから、誰の目にも明らかに【人為的な何か】を感じさせるモノを設置しておく
 必要があるけれど、材料は瓦礫ぐらいしか無い・・・だから・・・)

考えながら、まずはシートとなるものを探す。
ケータイのライトで照らしながら周辺を見ると、ほどなくしてブルーシートが見つかった。
一部が瓦礫の下に挟まっていたが、ズルズルと引き出して使うことにする。
遺体の上におおざっぱに被せ、風などで飛ばないように要所要所に重しを乗せた。

最後に人為的な目印だが、これはブルーシートを探している間に、瓦礫の中にあるモノを見つけて思い付いた。

(このバケツ、これを、地面に刺した木材か何かに、ひっくり返した状態で被せておけば、
 目印にもなりやすいし、明らかに自然ではない状態を表せていいな)

同じく周辺にあった木材を、遺体の付近に突き立てる。
多少の風雨では倒れないように、しっかりと。
そして、その上にバケツをかぽっと被せた。

(うん、まぁ、暫定ではこれで良いだろう)

全部の作業にかかった時間は、およそ10分前後だった。
この日から一週間の間に、計18回もおこなうことになる作業の、それが1回目だった。
管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM3:40前後〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。

救助した中年男性を避難所に預け、僕は再び生存者の捜索に向かった。
恐怖心は残っていたものの、捜索開始当初に比べれば大分マシになっていた。
和らげている要因は【慣れ】だったのだと思う。
行って帰ってを一度経験したことによって、瓦礫の上を歩く速度もずいぶん速まった。
中年男性を救助したポイントまで戻ってくるのに、およそ15分〜20分ほどしか掛からなかったと記憶している。

(えーっと・・・)

時計を確認する。4時。生存者の捜索を開始しておよそ4時間。

(もうすぐ明るくなる・・・明るくなれば捜索も容易になるのかな・・・)

そんなことを考えながら、周囲をなんとなく見回す。
何かが気になった。

(?)

まず違和感を覚えた事実に気がつき、
次に違和感を覚えた方向がどっちだったのかを見定め、
そして近づき、注視する。
違和感の原因はすぐに見つかった。
無機物の瓦礫であふれかえる中に、有機物があった。
人間の手首だった。

(・・・・・・)

ケータイを取り出し、ライトで照らす。
間違いなく人のそれだ。

(マネキンかも)

という考えも一瞬だけ浮かんだが、すぐに消えた。
動揺はほとんどしなかった。
僕は元々、死というモノに対してドライなところがあったし、それに、生存者の捜索に出発する前の段階から、
『遺体ばかり見つけてしまう可能性もあるのだろうな』
と考えてはいたから。

(今すぐ助ければ命が救えるかもしれない)

という焦燥がほんの一瞬で消えてしまったのは、
その人の手首以外が、完全に瓦礫の下になっていたからだった。

(・・・状況から考えて、生きてるワケないな・・・)

とはいえ、確認しないワケにもいかない。
しゃがみ込む。
その人物の手首は、引き波に洗われたらしく、キレイに露出していた。
瓦礫の中で少しだけ目立っていたのは、そのおかげらしい。

「もしもし? 大丈夫ですか?」

と話しかけながら、手首を触診してみる。
脈は感じられず、熱も感じられなかった。
指先を触る。硬直していて硬い。

(・・・・・・やっぱりだよな・・・)

確認作業を終え、亡くなっていることが分かると、
今度は別の懸案事項が生まれた。

(亡くなっている、として、この遺体はどうするべきだろう? 消防団、あるいは警察、
 あるいは自衛隊が確認、回収するまではヘタに動かせないだろうし、そもそも僕ひとりで
 移動させるのは困難だし。かといって、このまま放置しておくと、腐敗が進むばかりだろうし。
 まだ寒い時期なのが幸いだけれど、この非常時だから、回収がどれくらい先になるか見当もつかない。
 最悪、1ヶ月先なんてことになる可能性もゼロじゃないだろうし。回収されるそのときまで、
 遺体の損傷、特に顔は、本人確認ができないほどに傷んだりはしないだろうか。
 カラスとかに突っつかれたらキツイだろうしな・・・)

といったことを、タップリ1分ほどかけて考え、

(とにかく今は、悩んでる時間ももったいないな。遺体の全身をいったん露わにして、
 服装と顔写真を撮影して、その後はシートか何かでも被せて置いておくことにしよう。
 あ、そっか。後から来たとき、あるいは他の人が見つけやすいようにする工夫も必要か)

という結論を出して、行動に移った。
管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM2:25前後〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。

男性に肩を貸して歩き出す。
男性の身長は私よりも10僂曚苗磴、少し体勢を低くすることを意識しないとならなかったし、
津波に呑まれたことで衣服がぐっしょりと濡れており、肩を貸すと必然的に私の衣服も汚れることになってしまったのだが、

(うわ、やだなぁ・・・でもまぁしょうがないか・・・一応、体をくっつけておくことで、
 ある程度の保温効果も得られるだろうし、この状態なら凍死とか衰弱死することもないだろうし・・・)

そんなことを思いながら歩を進めた。

「そこ、足場悪いんでこっちに行きましょう・・・そこら辺なんか尖ってるの見えるんで気をつけて・・・そこ、踏んでも大丈夫かどうか、僕が先に確かめますね・・・」

足場は依然として最悪。1人ならまだしも2人で歩くとなると尚更歩きづらい。
当初こそ2人3脚のようにして歩いていたが、気がつけば僕が先導して歩き、
補助しながら男性を導く形になっていた。

その合間合間に、男性が色々なことを尋ねてくる。

「どれくらいの被害が出てるんですか?」
「僕も全容はサッパリ掴めてませんね。仙台空港が津波に呑まれてる映像とかをみたぐらいですから。ただ、ある程度の想像にはなりますが、犠牲者は数百とか数千じゃ済まないでしょうね。1万・・・2万とか行くかもしれません」

とか、

「あなたは地元の人なんですか?」
「そうですよ。少なくとも高校卒業ぐらいまではここら辺に住んでました。
 あなたが動けなくなっていた場所から100メートルぐらいですよ」
「お名前は?」
「○○です。父親の名前が○○××で」
「ああ、××さんのお子さんですかぁ」
「(知ってるのか・・・)」

とかとか。
当初こそ生気が感じられなかったものの、男性は次第にそこそこ元気を取り戻したようで、
だから私としては、

(ひとりで避難所まで行けるんじゃないかな・・・?)

と何度も思ったりした。
思っただけで、もちろん口には出さなかったけれど。
避難所に到着したのは、スタートからおおよそ60〜90分ほど経過してからだったと思う。
正門から中に入ったところで、見覚えのある顔が僕の目に映った。

(あれ・・・確か父親の部下か・・・)

体育館の入り口のところで話をしている顔のひとつは、役場で何度か話をした記憶がある。
その人物がここにいるということは、

(避難所の運営を取り仕切るために配属されたってことかな。それともただ来ただけなのか。
 どっちでもいいか。とりあえずあの人に頼めば断れないだろうし)

「すみません」
「はい、なんですか?」

30代後半といった雰囲気の男性が、こちらを見る。
(いま忙しいんだけど)という感情が、その仕草と声に如実に表れていた。
僕の顔を見ても無反応なのは、会ったことを覚えていないのか、それとも暗がりで判別が出来ていないのか。

「どうも、お久しぶりです、○○さん」
「・・・・? ・・・あ、あー!! くろいのくんか!! 帰ってきてたんだ!」
「はい。それで、ちょっとお願いしたいことがありまして」
「どうしたの?」
「この方、」

連れてきた男性を指し示し、

「津波に呑まれて、今まで動けずにいた方です。右腕が折れているかもしれません。
 たぶん救急は機能していないかパンク状態だと思うので、どなたかの車で病院まで搬送をお願いできないでしょうか」

(命には別状ないみたいだし、無理ならその辺で暖を取らせるだけでも当面は大丈夫でしょうけど)

という考えはもちろん言わない。

「え、あ、そうなのか! 分かった。手配しておくね」
「お願いします。それじゃあ」

正直、これ以上ここにいるのは時間がもったいないという思いがあった。
1人助けられたということは、もっとたくさんの人を助けられる可能性があるということだ。
助けたいという正義感よりも、助けられる命があるのに助けられなかったとしたら、
それは自分が無能であったせいのように思えて、気にくわなかった。
救助した男性からの礼に応えつつ、僕は再び、生存者の捜索に向かった。

管理人が体験した東日本大震災 2011.3.12 AM2:15前後〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。


男性の右手は、無事に瓦礫の下から引き抜かれた。
僕は僕で、体を痛めないようにゆっくりと力を抜いていき、テコで持ち上げていた瓦礫を下ろす。

「良かったです。あとは下半身に乗っかっちゃっている瓦礫をどけてしまいますから、ちょっとお待ちください」

幸いなことに、それらは道具を使わずとも除けられるものばかりだった。
1分ほどかけて、除去が完了する。

「終わりました。立てますか?」
「・・・う・・・」

男性の背後に回って脇の下から手を通し、補助をしながら男性を立たせる。

「気づかなかっただけで、どこか不調を来している可能性もあります。ゆっくりと行きましょう」

足場の悪さや自分の体を確認するようにしながら、男性はようやく立ち上がった。
辺りを見回し、

「ここは、どこなんでしょうか」

と尋ねてくる。

(ん? 地元の人じゃないのか? あ、いや、確認したいだけか?)

という疑問を抱きながら、僕は

「住所的にいうと○○の××になります。えーっと、あそこにシルエットで見えているのが○×小学校ですね。
 で、あそこらへんが××駅。あそこが○×。で、あっちに行ったところが××中学校になっています。分かりますか?」

と説明する。

「ああ・・・」

と、男性はなんとなく把握したようだった。
右腕はだらんと垂れ下がっている。折れているのかどうかはわからない。
やや猫背になり、寒そうに全身を震わせていた。

「それじゃ、中学校が避難所になってますので、今からそこに向かおうかと思います。ちょっと確認したいことがあるので、屈伸運動してもらってもよろしいですか? 無理ならしてもらわなくて大丈夫です」
「はぁ・・・」

言われるがまま、男性はその場で屈伸を始めた。右腕が痛むようだが、それ以外の体の機能は問題ないようだ。

(津波に呑まれて今まで動けなかったのにこの程度で済んだっていうのはすごいな。
 マンガみたいだ。・・・あ? いや、というか、マンガみたいな幸運の人だけ、
 未だに生き残っているってことか・・・?)

そんなことを考えながら男性を観察する。

(寒いなら上半身の服を脱いでしまったほうがまだ暖かいかもしれないな・・・いや、さすがに乾いた服を着ないと
 寒さが増すだけだろうか。ぼくの服を着せるか? いや、嫌だな。まぁ、ここから寒さで死ぬことはないだろう。
 わ、ていうかよく見たら、靴も普通に履いてるんだ。普通なら脱げて流されてしまいそうなものだけれど・・・)

「ありがとうございました。それじゃ出発しますけど、歩けそうですか?」
「・・・だいじょうぶ」
「ひとつ質問させてくださいね。もしも問題なく歩けるようでしたら、すみませんが1人で中学校まで向かってください。
 僕はまた、生存者の捜索に向かおうと思っていますので。
 誰かの肩を借りなければ歩けないようでしたら、僕が肩を貸します。
 僕はどちらでもいいです。正直に仰ってくださいね。どちらにしますか?」

観察した限りにおいては、ひとりでも大丈夫そうだと思って、私はそう聞いた。
非情なことを言っている自覚はあったけれど、私は別に救助隊員というワケでも無いし、
助けが必要でもない人間を助けている間に、助けが必要な人間が命を落とすことになるのかもしれないのだ。
男性は、数秒ほど考えたあと、

「・・・一緒に来て欲しいですね。どんな状況になってるのかが分からないので・・・」

そう答えた。

「分かりました。ゆっくり行きましょう」

私は即答し、左側から肩を貸し、歩き出す。
瓦礫のせいで非情に歩きづらいが、まったく進めないほどではない。

(ヘタすると2時間ぐらいかかるかもな・・・)

そう思いながら、僕は歩を進めていきました。
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