世界の中心でマイを叫んだけども

06,02,12公開ー
日記とか、感想とか、考察とか。
ぼそぼそとつぶやくようにもなりました。http://twitter.com/Kuro_ino
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圭一の話・その1
僕には従兄弟がいました。
僕よりも年が五つ上で、叔母の第三子にして長男にあたる彼の名を、ここでは圭一とでも呼ぶことにします。

圭一はハンサムな野郎でした。
僕の知る限りの人間の中でも、トップクラスの男前です。
まあアレです、パッと見はジャニーズ系ってヤツです。月並みな表現ですが。
けれどまったく嫌味はなく、むしろ第一印象は『素直そうな好青年』
という風に思われる可能性が最も高そうな、そんな顔立ちでした。
目は大きく、鼻口耳はヘラで整えたように形が良く、僅かにクセのかかった猫っ毛(男子にも女子にも羨ましがられてたらしい)を有し、それらのパーツと顔のラインと頭の大きさは、
ロダンが彫刻したんかと突っ込みたくなるほど均整が取れていました。
本当に、こうして思い出しながら書いているだけでもハラが立ってくるぐらいにいい男でした。
おまけに、圭一の優秀な点はツラだけではなく、成績も運動神経もおまけに性格までグレートに良かったのです。
唯一、身長だけが平均よりも低めで、圭一はいつも「あと3僂曚靴ったなぁ」と呟いており、
僕にしてみれば何を抜かしてやがるかこの贅沢者めが、と言いたいところだったのですが、
考えてみれば僕が圭一の立場でもやはり同じことを望んだでしょうから、
必ずしも圭一がワガママであったという話にはならないのかもしれません。

そもそも、ツラが良い野郎というものは、得てして『調子こいてるオーラ』を
かもし出しているもの(まぁ、これは僕の偏見かもしれんですけど)なのです。
だから、すぐにでもモデル業界か芸能界かホスト業界あたりからスカウトを受けそうなツラをした
圭一が良質の人格を保有し続けていたというだけでも、じゅうぶん賞賛の言葉をかけるに値するのでしょうね。

ただ。
圭一のその朗らかな性格は、生まれ持ったそれではなく、後天的に得たところが大きいんじゃないかと、僕は思っていました。
確か本人も、ある出来事を境にして、自分の生き方は大きく変わったと言っていたことがあります。

その出来事とは、圭一の両親が離婚したこと。
圭一が、12歳の時でした。
しばらくの間、
真剣なお話をしたいと思います。

指摘されるまで忘れていたのですが、先日2007年2月12日をもちまして、
当ブログも一周年を迎えることが出来ました。

開設当初に比べると更新回数はかなり減少しておりますし、
依然として方向性が定まらない当ブログではありますが、
それでもこうして更新を途絶えずに続けてこれたのは、
ひとえに周りの方々が支えて下さったからだと思っています。
この場を借りて多大なる感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。

さて、自分は現在、当ブログ以外にも2つのブログを運営しておりますが、
『世界の中心でマイを叫んだけども』というブログを始めようと思ったのは、
この場所で、自分のとある体験を語ろうと思ったからでした。

それは、自分が過去に経験してきた、自分の大切な人の死に触れたときの話です。

これまで生きてきた21年間の中で、親しい人間、それも家族以外の人が死んでいく姿、
もしくは死んでしまった姿を、僕は8回、見てきました。

ある人とある人は病気で、
ある人とある人は自ら命を絶って、
ある人とある人とある人は事故で、
ある人は殺されて、

あるときはゆるやかに、
あるときは突然に、
あるときは理不尽に、
そのときは訪れました。

それらの出来事の数々を書こうと思って、このブログを立ち上げたのです。
しかし、人の死という、決して軽々しく扱ってはいけないものを書くこと、
また、当ブログを訪れてくれた人たちにそれを読んでもらったとき、暗く、
鬱々と思いをさせてしまうのではないかということ。

この2点に関しての答えを出すことが出来ず、この一年間、書くことに踏み切れずにいました。
ただ今回、当ブログが一周年を迎えたこと、
また、友人達や色んな人達の、「これを機に、書いたらいいんじゃないか」という声に後押しされ、
ようやく、決心することができました。

決して気分が明るくなるようなお話ではなく、
それでいて何かを得られるような話ではないかもしれません。

それでも、書こうと思います。
よろしければしばらくの間、お付き合い下さいますようお願いいたします。

それでは、また明日。
負けたくないなといつも思う
ネット、リアルに関わらず、僕の周りにいる人達は、本当にスゴイ人ばかりだ。

先日、朝目新聞さまのネタ絵描きBBSのS版に、たかたかさんの描いたマンガが投稿された。

『マキミキ』というタイトルが付けられたコラマンガ(ヤングアニマルで連載されていた『エアマスター』と、週間少年チャンピオンで連載中の『無敵看板娘』)のあとがきでは、たかたかさんの体験したこの一年間余りの壮絶な生活が、淡々と、ただの平凡な日常であるかのように語られている。

記憶や技術を全部失って、発作を頻繁に起こすような状態になって、それでもたかたかさんは、こうして何かを創り出している。

負けられない。
負けていられないな。

うん。がんばろう。


※たかたかさんの運営する『おでかけ食堂』はこちら。
(『マキミキ』をお読みになる場合は、『ギャラリー』→『バラエティ』→『マキミキ』とお進み下さい)
才能の話・その
昨日と違って、
『努力が才能を凌駕した話』をしてみんと。

ジャイアンツで活躍中の上原浩治さんが今回のメインです。
彼は入団1年目にして20勝を上げ、その後も数々の賞を受賞、先日まで行われていたWBCでは、日本代表の投手として多大なる活躍をいたしました。

ですがそんな上原浩治選手が、高校までは全く無名の選手であったことは、野球を好きではない人には、あまり知られていない事実かも知れません。
上原選手は高校当時、エースピッチャーではありませんでした。
プロはおろか、大学からの推薦すらひとつとしてなかったのです。

しかし、一浪して入った大学の野球部で、努力に努力に努力に努力を重ね、ついには全球団が欲しがるほどの投手へと成長したのです。

野球をやっている子供の誰しもが、一度はプロ野球選手を目指すものだと思います。

しかし普通は、そのほとんどが野球を続けているうちに、自分の才能の限界を知り、遅かれ早かれ悟る日が来るものです。
『自分は、プロ野球選手になんかなれない』と。

それを悟るのが小学生のときである人もいるし、
中学校のときである人もいます。

大人に近くなればなるほど、現実を確かに見ることが出来るはずです。
そして、それらの人々の何割かは、野球をやめてしまいます。

ですが、上原選手は違いました。
野球を、努力することを、やめませんでした。
そして、夢を掴みました。

自身を『雑草』と比喩し、努力が才能を凌駕することもあるということを、自身の活躍によって証明し続けている上原選手は、多くの野球小僧達の希望となっていると思います。

『プロになる選手なんていうのは、才能の塊みたいな連中ばかりだよ』

という話を、僕は何度も聞いたことがあります。
僕も、その話は間違ってはいないと思います。

ですが、完全に的を射ているとも思っていません。

プロ選手っていうのは、
『自分に才能があろうがなかろうが、そんなことは関係なく努力し続けることをやめない人』
が、なれるものなんじゃないでしょうか。

うぬー。
……きれい事かなぁ。
うぬー。
才能の話・その
唐突に高校時代の話をしてみんとするなり。(みんとするなり?)

管理人は高校時代、陸上部の中・長距離組に属してまして。
ひとつ下の後輩、佐藤くん(仮名)が、今回の話のメインです。
5000メートル走の選手である佐藤くんは、とても練習熱心な部員でして。
ユーモアのセンスもあり、彼がいるおかげで部はいっつも明るい雰囲気でありました。

けれど佐藤くんは、中・長距離組の中では、最も走るのが遅かったのです。
他の部員よりもたくさんの練習量をこなしているのに。
本当に陸上が大好きなのに。

皆の前ではいつも笑っていましたが、その陰では色々と悩んでいたようです。
練習を重ねても速くなれない自分への苛立ち。
自分よりも練習していないのに、自分よりも速く走れる部員への妬み。
そんな感情を持ってしまう自分への嫌悪……。

断っておきますが、佐藤くんは短距離走ならば部でもトップクラスのスピードを持っていました。
そのため、顧問の先生は何度か短距離への転向を薦ていたようです。
しかし、佐藤くんは中・長距離組を離れることはしませんでした。

「長く走っていることが好きなんです」

佐藤くんはそう言ってました。
彼は最後の高総体で、5000メートル走に出場。
結果は地区予選敗退。佐藤くんは走り終えたトラック脇で泣き崩れていました。

でもテントに戻ってきた佐藤くんは、
「3年間、本当に楽しかったああ!」
そう言って笑っておりました。

佐藤くんは結局、どれだけの困難が立ちふさがっても、努力し続けることから最後まで逃げなかったんですな。
僕も現役のころは、そんな佐藤くんの姿を見ていたからこそ、努力し続けることができていたワケです。

努力が全て報われるとは限りません。
努力が才能を凌駕するとも限りません。
努力をしてもしなくても、結果は一緒ということが、現実には多々あります。
けれど、結果を迎えたときの自分は、一緒ではない。ないのですよ。

頑張り続け、努力し続け、もっと自分を誇れるように好きになれるように走り続けることは、
自分にも、自分以外の誰かにも、大きな何かを残すことになります。

きれい事でも何でもなく、ただの単純な事実として、僕はそう思っています。

うぬー。