世界の中心でマイを叫んだけども

06,02,12公開ー
日記とか、感想とか、考察とか。
ぼそぼそとつぶやくようにもなりました。http://twitter.com/Kuro_ino
<< August 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
月ごとですよ
最近のコメントー
トラックバックー
管理人はこんな人
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
管理人が体験した東日本大震災 2011.3.11 21:40〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。


男性と行動を別にし、私は少し急ぎ足で原付を押し歩いていた。
地盤沈下や隆起によって、歩道のあちこちが破損している。
特に橋げたと歩道の繋ぎ目など、大きな段差ができていたりした。
初めは原付のエンジンを切って歩いていたものの、あまりに危ないので
エンジンをかけ、ライトで照らしながら歩を進める。
そうして数百メートルほど進んだところで、前方に自転車を押して歩く集団が見えた。
数えてみると総勢で6名。みな、足取りは重く、普通に歩いていても追いつけてしまいそうなスピードだった。

(さっきの男性と一緒で、仙台から自転車で帰ってきたとかなのかな)

近づいて後ろから雰囲気を観察するに、年代も性別もばらばら。
若い女性から中年の男性までいるっぽい。

(帰ってくる途中で知り合いになったとかだろうか。
 自転車を降りているのは、疲れたからなのか、それとも歩道が危険すぎるからなのか)

と、テキトーな感想を抱いていると、こちらに気づいたらしく、
道を譲ってくれた。
私は会釈をしながら追い抜き、そのまま距離を置こうとして、躊躇った。

(・・・自転車のライトじゃ、この歩道を歩くには危なっかしいんだよな。
 かといって、ドヤ顔で危険箇所を伝えるのも嫌だし。うーん)

迷った私は、20メートルほどの距離を保って、それとなく危険箇所が無いかをチェックしながら歩くことにした。
そのとき歩いていた国道は盛り土によって造られていることもあり、
高架と歩道の境目などで数十僂發涼丙垢出来ていたり、歩道が崩れ、足を取られれば
斜面を落ちかねないような場所も出来ていた。

そーいう危険箇所を見つけたら、それとなく止まって、自転車集団が追いつくのを待つ。
自転車集団が危険箇所を認識できるほど近くまできたら、また距離を開ける。
その繰り返し。

やがて国道は、長い上り坂に差し掛かった。
標高にして40,50メートルの小高い山を越えるための起伏で、
それさえ超えてしまえば、いよいよ地元に到着する。

車道に並ぶ車の列は、もはや完全に停止していた。
タンクローリーなどの大型車の割合が増えている。

(なるほど。片側一車線のこの道じゃ、どうやってもあのサイズの車はUターンできないのか。
 逆に小回りの利く車はこの列から抜け出す人も増えている。
 残っているのは、この道のすぐ先に目的地がある人とかだろうか)

そんなことを考えながら、坂を登っていた。
幸い、左右を山に囲まれた部分に差し掛かってからは、歩道も危険な箇所がまったく無くなった。

坂を上りきり、今度は5,600メートルの下り坂。
後ろを見たが、自転車集団はあくまで歩くつもりらしかった。
まぁ、勢いづいたところにいきなり危険箇所があったらとんでもないことになるだろうから、
無難な選択ではあると思う。
坂を下り始めてしばらく、私はふと、あるモノに気がついた。

前方100メートルほどのところに、1台の車が停まっている。
車道に対して横向きに。下り車線と上り車線をまたぐように。
一般車両ではない。それはパトカーだった。
コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。