世界の中心でマイを叫んだけども

06,02,12公開ー
日記とか、感想とか、考察とか。
ぼそぼそとつぶやくようにもなりました。http://twitter.com/Kuro_ino
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管理人はこんな人
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管理人が体験した東日本大震災 2011.3.11 22:05〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。


お巡りさんとの会話を終えて、私は自転車の集団に話しかけた。

「僕はここが地元なんですが、皆さんはどちらまで行かれるんですか?」
「私は○○まで」
「××までです」

一通り聞いてみると、近いところでここから約20辧
遠い人ではここから50劼曚匹△訃貊蠅世辰拭

「そうですか。えっと、この道自体は皆さん利用されたことがあるんでしょうか?」

返ってきたのは、概ね肯定。

「でしたらご存じかもしれませんが、この道路が低くなっているのは、ここから、あの、
 向こうの、見えます? あっちの影になってる山の手前ぐらいまでです。だから、ここから7、800メートルぐらいさえどうにかすれば、また国道を行けると思います。
 で、この下道ですが、僕が一応地元人ということで、最適なルートを案内できると思います。
 もしよろしければ、付いてきてもらったほうが早く国道に復帰できると思います」

「助かります。やっぱり先ほどから先導してくださってたんですよね。ありがとうございます」

やっぱりバレバレだったのかと思いつつ、

「いえ。お巡りさんの話ですと田んぼのドロで滑りやすくなってるそうなので、気を付けていきましょう。
 あ、ちなみにですね、あそこに」

彼方の暗闇を指さす。

「地元の中学校がありまして、おそらく避難者の受け入れをおこなっていると思います。
 場合によっては、今晩はあそこで一晩すごすのも手だとは思います。
 移動の間に検討してみてもいいかもしれません」

そこまで話してから、歩き出す。
大きな段差が出来ていた個所の10メートルほど北、国道の西側。
そこに下道から国道に合流するための、一方通行の道路がある。
その道を慎重におりていく。
盛り土で作られた国道との高低差はおよそ10メートル弱。
下まで降りると、国道とは明らかに様相が異なっていた。
道路が薄く何かに覆われている。
足を乗せるとズルリと滑った。
ドロだ。
お巡りさんが言っていた「田んぼの土」とはこれのことらしい。
土のグラウンドなどとは明らかに異なる、時間が経っても水分が抜けづらい土。
路面は、多量の水分を含んだドロによって、ぬかるみ、滑りやすい路面になっていた。
とはいえ、気を付けてさえいれば転んでしまうようなレベルでもない。
私は、町中を通り国道に復帰するまでのルートを思い描きながら歩を進めた。

(クリニックの前を通るルートは・・・ダメっぽいか。
 最短ルートがダメだとすると、えーっと、次に近いのはエネオス前を通るルートだけど、
 もしあそこがダメだとしたら・・・えーっと・・・ものすごい遠回りしないとになるか)

考えながら、歩を進める。
幸い、路面にあるのはドロぐらいで、瓦礫らしい瓦礫は特に見当たらなかった。
どうやら、高い位置に作られた国道が、海方向から押し寄せた瓦礫の大部分をせき止めてくれたらしい。
会話らしい会話もなく歩を進める。
自宅まではまだ1〜2キロほどあるものの、細かい道まで把握しているほど
慣れ親しんだ地元の町。
数僂慮さに体積したドロに覆われた道路は、明らかに異常と表現できる状態ではあったが、
私はまだ、特別な感傷を抱くことは無かった。

幸いなことに、西方向へと500mほど遠回りするルートは、歩きでの踏破が可能な状態だった。
そこから国道と並走するような形で南へ500mほど進み、
個人経営のガソリンスタンド、花屋、鮮魚店などの前を通過して、
今度は東方向、国道方向へと向かう。
国道に近づけば近づくほど厚みを増していくドロに注意しながら、途中にあるT字路を右に曲がった。
そこから緩やかな上り坂を南方向へと向かえば、やがて国道と合流する交差点にたどり着く。

およそ3、40分の時間をかけて、一団は国道へと復帰した。
北方向を見れば、谷のように低くなっているその彼方に、先ほどのパトカーと遭遇した地点が見える。
避難所になっているであろう中学校までは道のりにして500m。
その向こうにある実家までは1キロ強といったところだ。
この時点で私の目的地は、完全に実家から避難所へとシフトしていた。
瓦礫に呑み込まれているであろう実家を目指しても意味がないとの判断だ。
両親よりもはるかに愛おしく思っていた飼い猫の安否だけが気になっていたものの、
現時点で生き残っているのなら助かっているとしたら一晩ぐらい大丈夫な状況であろうし、
逆にダメなら今からどう足掻いたところで意味がない。
だから、まずは避難所だ。
自転車集団を見ると、何やら話をしている。

(今後の動きでも検討してるのかな)

耳を傾けてみると、現在地点の確認らしい言葉が聞こえてくる。
私は集団に近寄りつつ、

「それじゃ、一応確認ですけど、さっきのあそこがパトカーのいた地点です。
 で、僕らはぐるーっとこっちをまわってきて、また国道に復帰しました。
 なので、ここからまたまっすぐ道なりに行けば、○○方面に向かえます。
 避難所はここから一度北に戻るような形になって、そこから東に少し行ったところです」

「はい。色々とありがとうございました。お気をつけて」

さようなら、と挨拶を告げると、自転車集団同士でも、何やら挨拶を交わしている。
どうも、ここから別行動を取る人がいるらしい。
状況を見守っていると、集団の中の1人が他と別れを告げて、こちらへ近寄ってきた。

(あれ? ひょっとして)

と思いながら見てると、こちらに寄ってきた女性が、

「あの・・・すみません・・・避難所まで案内をお願いできないでしょうか」

そう言った。

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