世界の中心でマイを叫んだけども

06,02,12公開ー
日記とか、感想とか、考察とか。
ぼそぼそとつぶやくようにもなりました。http://twitter.com/Kuro_ino
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管理人が体験した東日本大震災 2011.3.11 22:50〜
※このシリーズは、当ブログの管理人が東日本大震災に遭遇した際の行動と、
 そのときに考えていたことを出来るだけ詳細に、なおかつ率直に書き綴っていくものです。

 当時の震災をミクロな観点で、ありのままに書き綴っていくため、
 意味が分かりづらかったり、嫌悪したくなるような描写もたびたび登場するかと思います。
 
 物語のようにテーマ性があるワケでも一貫性があるワケでも勧善懲悪というワケでもないので、
 その点だけはご了承いただければと思います。


避難所へのルートがひとつダメになっている状況を確認し、私はまた国道へと引き返した。
自転車集団と別れた交差点へと向かう。
南側のルートは、そこから入っていったところにある。

原付を押しながら、坂を登る。
ふと、そんな自分の姿を客観的に捉えてみたくなって、不思議な気持ちになった。

(なんなんだだろうな、この状況。ほんの半日前まで、いつも通りの日常を過ごしてたのにな。
 それが今では、灯りひとつ無い、車が一台も通らない国道を歩いてて、
 後ろには見知らぬ女性を引き連れてて、地元は津波に呑み込まれていて・・・)

あまりの非日常感に、笑ってしまった。
ヘルメットの中で小さく、笑い声をあげてしまった。
同時に泣きたいような感覚に襲われた。
女性に聞かれていたらドン引きされていたことだったろうと思う。
交差点を左折し、東方向へと向かう。
歩き始めてすぐのところに、ど田舎になぜかポツンと建てられた小さなラブホテルがあって、

(・・・これ、誤解されたりしてないよな・・・大丈夫だよな・・・?)

と、無駄に不安になっていたりした。
民家すらほとんど無い道を歩き、坂を下ったところで、
地盤が沈下し、マンホールが数十僂眛佑上がった箇所があった。
もともと幅の広くない道路が、余計に通行しづらい状態になっている。
大型のトラックなどは通行不能に近い。

(津波が来ていないところでも、あちこちが酷い状況になってるなあ・・・)

印象に残ったその箇所を通過して、坂を登ると、

「あれが避難所です」

暗闇の中に、大きな建物のシルエットが浮かんでいる。
手前にあるグラウンドには車が多数停車し、通常では見られない光景になっている。
校舎の中にわずかな光が確認できた。
情報を統合して、すでに避難所として機能し始めていることを確認する。

「やっぱり人はもう入り始めているみたいですね」

と、まるで独り言みたいに話しかけつつ、校門へと向かった。
テキトーな場所に原付を停める。女性もその隣に自転車を停めた。

「どんな状況になってるんでしょうね。ちょっと見て回ってみましょうか」

初めに体育館を覗いてみた。
黒に満たされた広い空間に、10名弱の人がいるようだった。
その人達の中央に、灯油式のストーブの火が見える。
状況から考えると明らかに人の数が少ない。
どうやら、避難者の多くは校舎のほうを利用しているらしい。

(っていうか、これ、状況的に考えて、女性が安全に休める場所を確保してあげなくちゃならないのかな・・・。
 面倒だなあ。この女性的には、どんな状況をベストだと考えているんだろう。
 僕は同伴しておいたほうがいいのか? でも見知らぬ男に近くにいられるのも嫌だろうしなあ。
 校舎が不安だとしたら、車か? 母親がここに来てるのだとしたら、母親の車を貸すか?
 いや、妹もひょっとしてコッチに帰ってくるのか? どうだろうな。それは無いかもな。
 校舎を見て回って、そのあとグラウンドの車を見て、母親の所在を確認した上で判断するか・・・)

そんな風に考えをまとめつつ、校舎へと向かって歩いていた。

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